FINASH

不定期連載 Face vol.10 太陽のようなサニーが「楽しむ」を貫いた先にたどり着いた“浦和”という場所

2026-03-20

 

「お金を払って見たい選手」

 

三菱重工浦和レッズレディースジュニアユース監督の西谷冬樹は、サンシャイン フォンテスを一目見たときから、彼女をそう評している。

 

育成の指導経験が豊富で、かつて中村俊輔という希代のプレーメーカーの成長にも関わったことがある西谷に、そう言わしめる発想とそれらを実現可能にするテクニックをハワイ出身のアタッカーは持っていた。

 

2025/26シーズンに加入し、特に攻撃面においてそのポテンシャルを発揮しつつあるサニー。

 

彼女はどのようにサッカー人生を歩み、三菱重工浦和レッズレディースへたどり着いたのか。話を聞いた。

 

 

 

「泣きながら練習に行っていた」——嫌いだったサッカーとの出会い

 

 

私がサッカーを始めたのは、4歳のときでした。

 

きっかけは姉です。1歳半年上の姉がサッカーをしていて、その影響で両親が私にもサッカーをさせようと決めたんです。

 

でも、正直に言うと、最初はサッカーが大嫌いでした。

 

練習に行くたびに泣いていたくらいです。両親に無理やり連れて行かれていました 苦笑。

 

それでも通い続けるうちに、友達ができて、少しずつ楽しいと思えるようになっていきました。

 

だいたい6歳か7歳のころ、ようやくサッカーが好きになっていきました。

 

本当に、強制されなければここまで続いていなかったかもしれません 笑。


 

 

「ボールが浮いたら交代だ」——テクニックを磨いた少女時代

 

8歳のころ、ある指導者に出会いました。

 

その指導者のもとへ週に1、2回だと思うんですけど、通っていたんですが、練習が始まる前に必ずやらなければならないことがありました。

 

足でリフティング500回、太ももで500回、そして全身どこを使ってもいいリフティングを1,000回——それをクリアしないと、1時間半から2時間くらいずっとリフティングをし続けることになるんです。

 

今思い返すと、なかなかクレイジーですよね 笑。

 

でも、あの経験が今の自分のテクニックの基礎になっているとも思っています。

 

先日のノジマステラ神奈川相模原戦でボールを浮かして相手をかわしたプレー?

※最下部に映像あり

 

そうですね、フリックのようなプレーは結構得意で、そうした独特のプレーも、昔から私自身が持っていたものでした。

 

過去にはいろいろなコーチから「(確率が低いから)やらない方がいい」と言われていました。

 

あるコーチからは「ボールを浮かせたら即交代だ」と言われたこともありました。

 

でも、毎回うまくいっていたし、ゴールにもつながっていたから、私はずっとその指示には従わず、続けました 笑。

大学のコーチには、止められることはありませんでしたね。

 

私はロボットではありません。

 

自分の中ではサッカーを楽しむためには自分がやりたいことをやる、という部分がベースにあって、それは誰にも奪われないものだと思います。

 

たぶんそれは、小さなころからつながってきているものだと思います。


 

「なぜ悲しくいられるの?」——サンシャインという名前が示すもの

私自身のパーソナリティは、小さなころから、かなりポジティブな人間だったと思います。

 

正直に言えば、そこまでハードな人生を送ってきてはいないのかもしれません。

 

ケガのことを除けばという部分がありますが、そのときでさえも、自分の人生はそんなに苦しいものではなかったという感覚があります。

 

あと私の名前はサンシャインなので、太陽の明るさのようなオーラを出せているのかなと思っています 笑。

 

ハワイという土地で育ち、ポジティブな家族と人たちに囲まれてきた影響もあるかもしれません。

 

両親は、メンタルの強さやポジティブな思考を育ててくれました。また私の人生においては、周りにポジティブな人が多かったです。

 

ハワイという場所は、あまり切羽詰まった感じはないんですよね。よりリラックスできるというか。物事に対して、神経質になったり、ぎこちなくなったりすることはない気がします。

 

「幸せでいられるのに、なぜ悲しむ必要があるの?」という考えが、私の根底にはあるんだと思います。


 

「サッカーがすべてだった」——2度の膝のケガ

 

サッカーを通じてたくさんの経験をしてきましたが、一番苦しかったのはやはりケガのときです。

 

2度、ACL(前十字靱帯)のケガをしました。

 

1度目は2019年の1月。大学進学の6か月前のことでした。キーパーと1対1になり、ゴールを決めた瞬間、相手のスライディングを飛び越えて着地したときに痛めてしまいました。

 

そのときの私にとって、サッカーは自分のすべてでした。自分のアイデンティティそのものが、サッカーにつながっていたので、本当につらかったです

 

でも同時に、それまでは毎月のように代表活動で遠征に出ていたので、高校生活をちゃんと楽しめていなかった部分がありました。

 

だから、そのケガから生まれた時間のおかげで、友達や家族と過ごせるようになりました。プレーができないのは苦しい経験でしたが、それまで見えていなかった世界を見ることができた時間でもありました。


 

「あのとき、プロに行っていたら」——2度目の挫折と日本への道

 

2度目は2023年の9月です。

 

2022年、所属していたUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のサッカーチーム(ブルーインズ)で全国大会を優勝することができました。そのままプロへ進む道もあったのですが、ようやくチームの中で本当に力を出し切れた1年だったので、もう1年残ることにしたんです。

 

そして翌2023年9月、再びACLをケガしました。

 

1度目よりもつらかったとは言いたくないのですが、精神的にはきつかったかもしれません。「あのままプロに行っていれば良かった」「違う選択をしていれば」——そういう思いがどうしても頭をよぎりました。

 

でも今こうして振り返ると、あのケガがあったから今ここ(浦和)にいると思えます。2024年に復帰して1年プレーし、そのときには選択肢がないように感じた時期もあったんですが、結果として三菱重工浦和レッズレディースへの加入につながりました。

 

だからすべての出来事に意味があったと、今は感じています。


 

「いつも笑顔でいてくれる」——言葉を超えたチームメイトとの絆


このチームでのエピソード?

 

そうですね、とてもうれしかったのは、いつだったか、確かな時期は覚えていないんですが、まだ私自身、試合に出場ができていない、チームになじもうとしている昨年の時期でした。

 

あるとき、ミキ(伊藤美紀選手)がロッカールームでGoogle翻訳を開いて見せてくれたんです。

そこには「いつもポジティブでいてくれてありがとう。私は少しネガティブな方だけど、あなたのおかげでポジティブになれている」と書いてありました。

 

まだチームに溶け込めているか分からなかった時期でしたし、試合にも出ていないころだったので、そんなことを言ってもらえるとは思っていませんでした。

 

そんな状態でも、チームに何か貢献できているという実感がわいてうれしかったです。うれしすぎて、すぐにそのことを家族全員に伝えたんですよ。

 

先月の私の誕生日には、レイナ(長嶋玲奈選手)がジップロックに英語で手書きのメッセージを書いてくれました。

 

「お誕生日おめでとう。いつも笑わせてくれてありがとう。これからも毎日笑わせてね」という内容でした。

 

言葉は違っても、ピッチの上でもピッチの外でもつながれる——それを実感できたことは、本当に特別な経験でした。


 

「楽しめているから、続けられる」——サッカーと自分

 

始めは嫌いだったサッカーが、今は自分の仕事になっています。

 

何がそうさせたのかと考えると、やはり「人」だと思います。さきほどのエピソードもそうですけど、チームスポーツだから出会える人たち、一つの目標に向かって戦う仲間たち、そしてサッカーを通じて訪れることができた場所や景色——もしサッカーをしていなければ、日本に来ることもなかったはずです。

 

個人競技だったら、おそらくここまで来られていなかったとも思います。

 

自分にとってサッカーとは何か。

 

とても深く難しい質問ですね。

 

サッカーは私にとって、安全で、落ち着ける場所なんです。どんな感情を抱えていても、ピッチに立つと地に足がつく感覚があります。

 

ケガをする前は「サッカーが人生のすべて」と迷わず言えていました。今は少し違って、サッカーを通じて得た経験や人とのつながりが、サッカーのない未来へもきっと活きてくると思っています。

 

もちろんスポーツそのものだけではありません。

 

サッカーのおかげで行ける国もありますし、両親も自分が遠征に行くことで、いろいろな国に行って、さまざまな経験をしてもらえます。

 

だからある意味、人生そのものでもあるんですが、やはり今は、サッカーが私の落ち着ける場所だと思っています。

 

楽しいから続けられる。それだけは、小さなころから今日まで、ずっと変わっていません。


 

自分らしくありつづけること

小さいときはすごくいっぱい夢があって、それこそプロのサッカー選手になるとか、ワールドカップやオリンピックの代表メンバーに入るとか、ありました。


それは、日本でもそうだと思うんですが、サッカーをしていたら、みんなが持つものだと思います。
 

私自身のキャリアで言うと、育成年代の代表には選ばれていた時期もありました。

 

U-17アメリカ女子代表として、予選を含め通算24得点を記録しています。これはおそらく、アメリカのこの年代の歴代の最多ゴールで、まだ破られていない記録だと思います。

 

U-17女子ワールドカップにも出場した直後に、さきほど言ったACLの1度目のケガがあって、完璧というか、皮肉なタイミングでしたね。
 

だから、そうした経験を踏まえると、今でも代表への気持ちはありますが、現状でどれだけ実現できるのかは正直分かりません。
 

その中でやっぱり1番私が大切にしたいのは、楽しむこと。それを続けたいと思っています。
楽しめないと自分ではないですし、楽しめたからこそ今ここにいられていると思うので。

 


申し訳ない気持ちが強いからこそ

 


チームのサッカーに関して言うと、シーズン前半は、正直チームのやり方になじむのに時間がかかりました。

 

特に守備の面で苦労しました。日本のサッカーで求められるハイプレスは、アメリカの大学でもプロのサッカーでもあまりないものなので、ポジションの取り方を最初からやり直すような感覚がありました。

 

攻撃に関しては、所属していた大学のチームが、プレーの組み立て方として近いものがあったのでよかったんですが、守備の規律面は本当に難しかったです。

 

ウインターブレイクを経てキャンプに入ったころから、ようやくチームメイトのプレースタイルが体に入ってきました。

 

シーズン前半はずっとみんなのプレーを観察して学ぶ時間でもありました。それが少しずつつながり始めた感じがします。次のステップとして、ゴールとアシストという形でチームの結果に貢献していきたいと思っています。

 

皇后杯も敗退し、クラシエカップもグループステージ突破がかなり厳しい状況です。

 

それはもちろん悔しいですし、ただ、その中でもチャンスが少しでもあるなら、自分たちはそこに向かって集中して、試合に勝つというのが絶対だと思っています。

 

一方で、すごく申し訳ない気持ちもあります。私自身がもっとピッチでチームに貢献できる機会があったと思いますし、それができませんでした。

 

それに、ケガの選手やメンバー外になった選手たち、いまチームを離れて日本の女子サッカー界のために戦っているハナ(高橋はな選手)に対しても、今の状況は申し訳ないという気持ちです。

 

もちろん、ファン・サポーターのみなさんに対しても。

 

おそらく、大阪にも多くの方が来てくれると思います。彼らはずっとジャンプして、歌って、サポートしてくれています。

 

その力は私たちの背中を本当に押してくれますし、前回結果で恩返しできなかった分、次の試合では全力で応えなければいけません。

 

そうした思いが強いので、次のセレッソ大阪ヤンマーレディース戦でも、自分がピッチに立ったときには、チームに貢献できるように全力を尽くします。


 

 

「全員で同じ目標に向かう」——リーグ制覇へ、チーム一丸で

 

リーグのタイトルは、まだ十分に手の届くところにあります。

 

それはとてもエキサイティングなことです。

 

1試合も落とせないことは分かっていますし、引き分けも許されない。全員が理解しています。

 

だからこそ、ケガをしている選手やその日メンバーに入らなかった選手も含めて、全員の力が必要です。なぜなら、私たちは一つのチームだから。

 

そして、この一つの共通の目標に向かって全員が同じ意識を持てれば、私たちは成し遂げられると思います。それができる素晴らしいチームだと思っています。

 

だから、ぜひ、引き続き、共に戦ってください。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

写真にあるようにサニーの周りは、いつも笑顔であふれている。

 

彼女の何気ない一言や気遣い、そして温かくチャーミングな人柄が現れた仕草に、ついついこちらも笑顔を誘われてしまうからだ。

 

その名のとおり、太陽のように暖かく、周囲を明るくしてくれる存在なのだと思う。

 

インタビューを通じて感じたのは、彼女が何よりも人とのつながりを大切にしているということ。

 

そう伝えると彼女はこう返してきた。

 

「それが私にとってのすべてです」

 

それは彼女の両親への言葉にも現れている。

 

「私は両親がいろいろなものを犠牲にして私をここまで連れてきてくれたと思っています。

父は夜遅くまで働いてくれていましたし、母は仕事を早退して、私と姉をサッカーの練習に連れて行ってくれました。

 

そういう小さな積み重ねが、今の私を作りあげてくれたので、今やっていることのすべてに両親への感謝があります」

 

そして仲間への思いも伝えてくれた。

 

「たぶんハワイの影響もあると思いますが、全員が家族と思える文化なんです。だからチームメイト、コーチングスタッフ、支えてくれるクラブスタッフ、そしてファン・サポーターのみなさん、みんな含めて私にとっては第2の家族だと思っています」

 

今週末、セレッソ大阪ヤンマーレディース戦は、グループステージ突破が数字上は残るものの、現実的には非常に厳しい状況での一戦となった。

 

だが、だからこそ、表現できるもの、しなければならないものがあると思う。

 

常に自分らしく楽しみながら、かつ人の思いを感じ取れる背番号19のアタッカーがどんなプレーを見せてくれるか。

ぜひ、期待してほしい。

 

(文・写真=URL:OM)

 

 

 

 

 

この原稿は、レッズレディースパートナーであるStoryHub社のプロダクトを活用し、人とAIが共創して作成させていただいております。

 

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