Future Diamonds vol.7 # 浦和で生まれ、浦和で育てる。30年以上ボールを追い続けたGKコーチ・清水泰治の原点
2026-06-07

レッズレディース育成の活動や関わる人を伝える『Future Diamonds』。今回は三菱重工浦和レッズレディースジュニアユースの清水泰治GKコーチを紹介します。
清水GKコーチは、1994年から浦和の女子サッカーに関わり続けてきた人物です。
ボランティアからキャリアをスタートさせ、独学で指導を磨き、池田咲紀子選手をはじめ、福田史織選手などレッズレディースで活躍している選手をはじめ、現在マイナビ仙台レディースで活躍する清水栞選手、ドイツでプレーを続ける松本真未子選手など、レッズレディースの育成時代に、後にトップレベルに到達する数々のGKの育成に関わってきました。
365日休みなく、選手の成長を見守ってきた清水GKコーチに、その指導哲学と30年以上の歩みを語っていただきました。
1994年、ボランティアから始まった女子サッカーとの出会い
――女子サッカーに関わるようになったきっかけを教えてください。
最初は1994年ですね。当時、浦和の女子サッカーチームが日本リーグに入ったんですが、その事務局をやっていた吉田くんという同級生に「運営を手伝ってくれないか」と声をかけてもらったんです。駒場やまだレッズの練習場ができる前の大原で何度か運営に携わったのが、女子サッカーとの出会いでした。
――もともとサッカーはやっていたのですか。
小中学生の頃、浦和でサッカーをやっていました。ただ、中学以降はずっと離れていて、サッカーから13年くらいブランクがあったんです。
その間も、なんとなく「またサッカーを教えることになるんじゃないかな」という気持ちが密かにあったのはありました。それで体を鍛えておこうとなんとなく思っていて、27歳の誕生日からスポーツジムに通い始めていたんですよね 笑。
――声をかけてくれた吉田さん以外にも、関わりのあった方がいたそうですね。
吉田くんと、あとは衆議院議員の武正公一さんがいますよね。武正さんとは中学の同級生でもあったので、付き合いがあったんです。彼も当時、浦和レッズの誘致に動いていたので、それもきっかけでまたサッカーとのつながりが生まれたんです。そこからサッカーに引きずり込まれた、という感じです(笑)。
ちょうどサラリーマンを辞めて家業の仕事を手伝っていた時期で、ある程度時間の余裕があったので、「じゃあ、手伝うよ」という形でスタートしました。
――当初から指導者として関わっていたのですか。
最初は私一人しかいませんでしたから、もうなんでもやっていましたよ。
その後、監督になっていただける元日立の方とかが就任するようになりましたが、その方も会社勤めをしていたので、平日はすべて自分が見て、土日だけ監督が来るという形で2年間続けました。
当然、報酬はなく、完全にボランティアです。でも「やる」と言った以上はやり通す、というのは自分の性分なんですよね。やるよって言っちゃったから 笑。
友人にやると伝えた以上、しっかりとやり通す、それが自分の性分なんでしょうね。
独学で積み上げた、清水流のGK指導論

――GKコーチとして専門的に活動し始めたのはいつごろですか。
GKコーチという肩書きが付いたのは2011年からでした。
レッズレディースも中学年代、高校年代が一緒だったんですが、そのころにジュニアユースとユースという今のような形に分かれたんですね。
そのときに、今の育成サブダイレクターをしている神戸慎太郎さんがユース監督、当時在籍していた下山薫さんがジュニアユース監督となり、私の3人体制になったんです。
そこからGKコーチとして本格的には肩書がつきました。
それ以前もGKを教えてはいたんですが、そのスタートは完全に独学だったんですよ。
GKコーチとしてのベースになったのは、トップチームの前身である「さいたまレイナス」に在籍していた山郷のぞみ選手(現 ちふれASエルフェン埼玉 強化責任者)と一緒にトレーニングをした2年間がベースでした。
2003年~2004年に一緒に仕事をしましたが、彼女との時間は本当に大きかったですね。選手としてここまで突き詰めてできるんだ、妥協しないでやらないとそのレベルにはいけないんだということを、身をもって学ばせてもらいました。
――独学とおっしゃっていましたが、具体的にどのように学んだのですか。
本はめちゃくちゃ買いましたよ。何百冊も。渋谷の紀伊国屋とかに行って、サッカーの指導書はもちろん、フィジカルトレーニングに関するものや、コンディショニング、はたまた古武術の動き方に関するものまで、参考になりそうなものは何でも買いました。
『トレーニングジャーナル』みたいな専門誌も80年代からずっと買い続けていました。ネットがない時代でしたから、もう本から全部学んでいきましたね。
――古武術の動き方、というのは特徴的ですね。
日本人には日本人の骨格があって、それに合った動き方があると思っているんです。その考えは、大切にして指導してきました。膝の抜き方とか、そういった動きはずっと取り入れてきましたね。
――GKへの指導において最も大切にされていることはなんでしょう。
構えと動き、それからキャッチですね。
正面のキャッチがきれいに取れると、相手も「このキーパーはうまい」と感じますよね。緊迫した場面でプレッシャーをかけられるし、相手が外してくれることにもつながっていくんです。そうした「たたずまい」につながるものが大切だと考えています。
山郷さんなんかはまさにそうでしたよ。ピンチになっても一対一になっても、相手が外してくれる。そういう佇まいのあるキーパーが理想ですね。
なのでキャッチングの基礎技術と、ポジショニングとステップ、動き出しのタイミング、池田咲紀子選手にも、それらはとことん教えました。それしか教えなかった、と言ってもいいくらいです。
妥協させない。貫かれた指導スタイル

――これまで多くのGKを育ててこられました。指導の特徴はどこにあると思いますか。
妥協させないことですね。そこだけは一貫しています。
今日のテーマをこれと決めたら、できるまでやる。他のメニューを省いてでも、その日に成功体験を積み上げて終わる。昔は特にそうでした。
それこそが山郷さんのスタイルだったんです。それが今でも自分の指導に入っているんだと思います。彼女の取り組む姿勢をそのままやらせている、という感覚で。
中学生にはきついと思いますよ。でも代表やプロのレベルに行こうとするなら、そこまでやらないといけないと思うので、そこは伝えるようにしています。
――一方で、時代の変化に合わせてアップデートしてきた部分もあるのでしょうか。
伝え方は変えてきましたね。伊能真弥選手のころまではちょっと昔気質だったと思います 笑。
厳しさで伝えていた部分が、今は言葉でちゃんと伝える、マイルドにする、という方向に変わってきました。
タニさん(西谷ジュニアユース監督)を見ていると、その伝える技術の大切さを本当に気づかされます。
今の中学生の年代でも「こうするとこうなんだよ」というのをそのときにちゃんと分からせてしまう。私とは大きな差があります 苦笑。
昔の教え子から「清水さんに言われていたこと、今になって分かりました」と言われることがあって、それはうれしいんですが、やっぱりそのときに伝えられていなかったということでもある。伝えることの大切さは、今になってしみじみと感じています。
育成年代で育まれる「諦めない」GKたち

――これまで指導してきた中で、特に印象に残っている選手は誰ですか。
印象に残っているのは伊能真弥選手ですかね。
ちょっと、ちゃらんぽらんなところがあってなかなか直らなかったんですが(笑)、それでも言ったことは習慣化できる子でした。
「これをルーティンとしてやりなさい」と言ったことを、練習後の短い時間でも続けられる。積み重ねを継続できるというのは、福田史織選手も同じだったんですが、言ったことをずっとやり続けられる子は、やっぱりうまくなっていきますよ。それは努力できる才能だと思っています。
――ゴールキーパーとして最も大切なことは何だと思いますか。
諦めないこと、ですね。
失点したときに「やられた」とプレーをやめるような淡泊さを見せたり、よけてしまったりすることは、私自身指導していて、厳しく指摘します。その部分は昔から厳しく言い続けてきました。
伊能選手のよかったところとして、そこもありました。彼女は最後までよけないんです。
浦和という町の文化が、指導者・清水泰治を育てた

――30年以上の関わりの中で、ボランティア、いまはパートタイムになりますが、ここまで続けてこられた原動力はどこにあるのでしょうか。
一つはさきほどお伝えした「やる」と言ったことはやり通す、という自分の性格ですかね 笑。
もう一つは、浦和という町のサッカー文化への恩返しですね。
私自身、高校のころには、やんちゃをしていたんですが 笑、そのとき「キッカーズ」という社会人チームに呼んでもらって、町の大人たちがボランティアで練習に付き合ってくれたんです。「力を余しているならサッカーをしに来い」という感じで。
そういう大人がいてくれたことが、今の自分の原点になっています。
小学校の少年団から高校、大学、プロまで、同じ地域でサッカーの文化が根付いている。そのボランティアの先輩たちへの感謝が、自分がボランティアやパートタイムでも続けてきた理由の一つだと思っています。
――指導者として、最もうれしかった瞬間を教えてください。
一つはレッズレディースの育成として最初に全国大会に優勝したときです。あれはうれしかったです。
それと教えたGKが活躍してくれるのが一番うれしいんですが、10年ほど前くらいだと思いますが、一度、池田咲紀子選手からはJFAの方で作った感謝状を本人から直接渡してもらったことがありました。
それも本当にうれしかったです。
今も私が経営している会社に飾ってあります。
代表に選ばれた選手を育ててくれたことへの感謝状なんですが、協会からじゃなくて、彼女本人から「清水さん、これ」って渡されたのがうれしくて。
指導者冥利に尽きる瞬間でしたね。

世界を目指すクラブと共に

――今後、育成の場でどのような選手を育てていきたいですか。
人間性も含めて、彩艶(鈴木彩艶)選手のようなGKが出てきてくれたら、というのがありますね。
先日、記事にもなっていましたが、彼の移籍などを通じて、育成グラウンドにクラブハウスのようなものを寄付できている。クラブ内では愛称として『彩艶ハウス』(正式名称:与野八王子研修棟)とかって言われていると思うんですが、女子でもそうした地域に還元するような活動ができる選手が浦和から出てきてくれるといいなと。
今は女子もプロになりましたから。
町の大人たちが子どもたちの成長を温かく、ときには厳しく見守ってくれる。それが浦和のサッカー文化だと思っているので、そういうものを次の世代にも感じ取ってもらいたいです。
――清水さんご自身は、これからどのように指導を続けていきたいとお考えですか。
今まで通りで、できるところまで貫きます。ボールが蹴れなくなったらやめます、と昔から言っていますが(笑)。
今、このレッズレディースは指導者やトレーナーなどの人も入れ、必要なところにしっかりとお金をかけて、明確に世界を目指す方向に向かっています。その一つとして、自分も役に立てるように頑張っていきたいですね。
セレクションで入ってくる選手たちにも伝えたいのは、ここは世界を目指すチームだということです。その意識を胸に、ぜひチャレンジしにきてほしいと思っています。
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インタビュー中にもあったように、清水GKコーチは、指導していく中で大切にしていることとして、「たたずまい」と述べていた。
選手が積み重ねて纏う(まとう)「雰囲気」が、GKとして大切だということだった。
そう話す清水GKコーチの背筋は常にまっすぐに伸びていた。
レッズレディースの育成は、こうした実直で熱意を持った指導者に支えられている。
(了)
三菱重工浦和レッズレディースジュニアユースでは、セレクションの募集を行っています。
1.対象者
現小学6年生 女子
三菱重工浦和レッズレディースへ加入意志があるプレーヤー
さいたま市内での練習に原則90分以内で通える範囲にお住まいの方
所属クラブの承諾を得た方
2.応募期間
2026年6月11日(木)23:59まで
参加費用など詳細はこちらからご覧ください。
応募要項はこちら▶https://x.gd/Nsbao

この原稿は、レッズレディースパートナーであるStoryHub社のプロダクトを活用し、人とAIが共創して作成させていただいております。
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